「賞賛」という、クリスマスプレゼント
サンタクロースを信じている子供たちにとって、クリスマスは特別な日だ。
クリスマスが近づくと、何日も前から自分たちでいそいそとツリーを飾り付け、サンタさんがいつ来てもいいように部屋を片付ける。
積極的に飾り絵付きの手紙まで書いて、ツリーの下に偲ばせるという技もいつのまにか心得てしまっていた。
そんなに期待されているのだから、親としても少しでもムードを盛り上げるべく、母も普段よりちょっとだけ頑張って食卓を彩ってみる。(いつもよりチョットだけ増し、ってことでw)
今年は、イブの夜はお父ちゃんが仕事で不在だったし、25日が年末年始の繁忙期に向かう唯一のお休みだということで、週明けのド平日だというのに子供たちとケーキまで手作りする手の込みようw
(ちょっと失敗したけど💦)
なのになのに、子供たちときたらプレゼントにもらったオモチャに夢中だし(気持ちは分かるが)
休日とはいえ、連日のガイド業でお疲れモードのお父ちゃんは食事が済んだら早々にダウンだし(仕方ないけど)、なんだかな〜。。。
とはいえ、家族みんなで仲良く食卓を囲めるって幸せなことだ✨✨と、キッチンでひとり晩餐の片付けをしながら我が身を振り返るサイレント・ナイト。
しかし、今日はとてもいいことがあった。
実は数日前から腰痛、肩痛に次いで右半身が痺れるという身体の不調に悩まされていた。
シーズン初めによく出る撮影後の後遺症というか、疲れからくる筋肉痛のひどいヤツだ。
3年くらい前からもうクセになりつつある身体の不調だった。
肩や腰が痛いくらいなら我慢出来るのだが、右手や右目のマブタが痙攣し始めると、もう自分ではどうにもこうにもいかず、救いをもとめていつもの整体院を訪れた。
そこの施術師は、私にとってはもはや救世主のような存在で、これまでに何度も「もうダメだ〜」というような酷い症状から助けてもらっていて、もうかれこれ10年近く通っている。
とても勉強熱心な先生で、私の身体が訴える痛みがどこから、そしてどの筋や神経が関係しているのかなどを切々と説明しながら施術してくれるのだ。(大半は痛みが緩んで眠くなり、ボーッとしながら聞いているw)
その大変お世話になっている先生から、私が先日リリースした写真集「STAGE」の中の写真について、大変お褒めの言葉をいただいた。その1枚がこちらの作品。
SKIER : Masaaki Sato
「STAGE」の終盤に掲載された、春スキーの場面だ。
先生曰く、「この写真には時間(とき)を感じるのだ。」と。「時間の流れという動きが感じられるのだ。」と。
里の雪が解け、日差しが次第に暖かくなった4月に、まだ降ったばかりの真新しい雪が残る斜面を求めて出かけたときの写真だった。
滑り手の描く緩やかなターンと、専攻するストックの動きが絶妙なタイミングであり、穏やかな小春日和に象徴するイメージが撮れたと、私自身も気に入っている1枚に違いない。
しかし更に先生が仰るには、「眼下に広がる広大な雪面に、この滑り手が次に描くターンの想像を掻き立てる」と、「そしてその読み手(写真を見るもの)にこの1枚の写真の次のシーンを想像させることこそが映像にはない、スチールが持つ最大の魅力だ」と、絶賛していただいた。
確かに。
私は正直、そんなことを考えながら撮影した訳ではなかったのだが、そういえば昔から自分の作品は絵画にしろ、写真にしろ、静止画が好きだ。
近年、技術の発達で一眼レフで動画が撮れるようになっても、機械音痴であることも事実だが、子供の成長の過程で音が出るもの(音楽会やお遊戯会など)以外は記録することも写真で行っている。
こと作品づくりに関しては、フィルムの時代から作画してきた経験というのもあるが、「シャッター1枚切るごとに息を殺す」ような"瞬間"を探し追い求めてきたからかもしれない。
カメラ自体の性能が上がり、携帯性が上がり、流通が容易くなった時代。
私が切り抜く瞬間が
「如何に読み手の想像意欲を掻き立て、如何にその写真にのめり込ませることができるか」
そして更に読み手が何かしらのアクションを起こすことになったなら、それこそが私が求める最高の1枚になり得るだろう。
「STAGE」を購入していただいた方々に「To the Next STAGE !!」というメッセージを込めていたにも関わらず、自分自身が次のステージを模索している最中だった。
私のサイレントナイトは、救世主によって聖なる夜に変わった。
Merry Christmas! and To the Next STAGE!
MIHO Furuse Photography 2nd 写真集「STAGE」はこちらからご購入いただけます。 写真一枚一枚に込められた写真に”とき”を感じていただけたら幸いです。